人生に意味はない。でも、あなたが生きている意味はある

人生に意味はない。でも、あなたが生きている意味はある

人生ってなんだろう。生きる意味ってなに?そう考えたことはないでしょうか。もしかしたら考えたことないという人もいるかもしれないし、もしかしたらずっとそんなことばかり考えてる人もいるかもしれません。いくら考えたところで絶対にたどり着くことのないこの大きな問題。私個人の意見ではありますが、悩んでる人の少しでも力になれたら幸いです。
はじめに こちらの記事にも書いてありますが、アドラー心理学の「嫌われる勇気」という本から、自分なりに解釈を変えて書いてある部分もあります。

本の購入はこちら⇨ 嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ]

世界は全て「主観」と「思い込み」である





 

人生に意味はない


いきなり答えになってしまいますが、大前提として、人生に意味はありません。

生前に、どんなに悪いことをしたとしても、どんなにいいことをしても、お金を稼いでも、名声を手に入れても、死んでしまっては全てが無になってしまいます。

そんなことを言ったら、何をするのも自由じゃないか。

はい。その通りです。自由です。

学校に行こうが行かまいが、就職しようがしまいが、一生遊んで暮らそうが、殺人鬼になろうが。

何をするのもあなたの自由。

でも、なぜそんな自由なのに、道や方法が違えど、みんなが同じような人生を送るのか。

人生と同様、この世界にも意味は存在しません。

しかし、私たち人間の祖先が生まれ、集団で行動するようになり、社会を形成し、国を作り…

この意味の持たない世界に、先祖たちは長い年月かけて「意味づけ」をしてきました。

社会を形成していく中で、人間の世界で生きていくためのルールを作り、道徳が生まれ、そして私たちは生まれてから今まで、無意識のうちに「人間とは、人生とはこうあるべきものだ」ということを刷り込まれていきます。

人生も世界も、意味を持たないはずなのに、「こうあるべきだ。」と、それが当たり前のことであり、あたかもそれが全てであるように思ってしまうため、酷く悩んだり、最悪の場合自殺をしてしまう人もいるわけです。

人生に意味はなく、世界にも意味はないので、本当は人間が何人生まれようが死のうが、災害が起きようが、全くどうでもいいわけです。

現実の話、地球は現在46億歳と言われていますが、その間には、地球全体がマグマな時があり、逆に全てが氷の時があり、恐竜が存在した時があり。

本当にこの地球に恐竜がいたと思うとすごくないですか?

でも、そんなことは、本当に事実だったとしても、もし嘘だったとしても、地球や宇宙からしたらなんの関係もないし、ましてや、私たち人間からしても関係がないことです。

時間がある人で、地球の歴史に興味がある方はこちらを見てみてください。とても面白いです。

地球の中で、時間という縦の関係で見ても、この世の中に存在しているものに意味はないと感じ取れますが、今、同じ時間に存在するもの、横の関係で見てみても、無意味なもので溢れています。

宇宙に広がる星々は、地球上に存在する砂の数より多いと言われています。

まあ普通に考えれば当然のことですが、スケールが大きすぎて想像できませんよね。

その数え切れないほどある星の中に、一体生命が存在する星はいくつあるのか。

間違いなく存在はすると私は考えていますが、実際にそれが存在しようがしまいが、それですら私たちに関係ないし、その生命体からしても、私たちの存在は関係ありません。(襲撃されれば話は別ですが。)

また別の記事で宇宙についてしっかり書くかもしれませんが、今回のテーマは人生なので戻りますね。

少し話が大きくなりすぎましたが、あなたが例えば道ですれ違う人の存在。その人が自分の知っている人でなければ、その人が誰であろうと自分には関係ないし、その人がどんな人で、どんな人生を歩んできて、どんな目的を持ってそこを歩いているのか。

その全てが自分には関係がないし、無意味なものです。

ここまでひたすら「無意味」の話をしてきましたが、ここまでずっと読んでくると本当に全てが無意味に思えて、「じゃあなんで生きてるんだ?」という疑問が浮かんできます。

これだけ無意味に溢れている世界、というより、この全てが無意味な世界を私たちが苦しみながらも必死に生きている意味の話をしていきます。


あなたが生きる意味はある


またまた宇宙の話。
宇宙ができて、地球ができて、命が生まれ、人間が生まれ、あなたの両親が出会い、あなたが生まれた。

現在地球上には約70億人の人がいると言われていますが、あなたのは存在は70億分の1の存在でしょうか?

宇宙が生まれて138億年。その中で人間はたったの100年しか生きれません。

星の数もものすごい数です。

地球上には未だに確認されていない生物がいるほど生物がいます。

そんな中であなたは人間として、この時代に、この星に、この国に、その場所に、あなたとして生まれました。

数学は得意ではありませんが、数字で表すと一体これはどれほどの確率なのか。

とんでもないほどの奇跡としか思いません。

あなたという存在は、この地球上、そして宇宙、さらには時代を超えてもあなたしかいません。

先程まで無意味と言っていましたが、これだけの奇跡。これだけで、正直生きる理由になるのではないかと私思います。

客観的に見れば人間一人一人の存在は意味がないのかもしれません。

しかし、「あなた」というたった一人の存在はこの世の中で唯一無二なのです。

考えれば考えるほど分からなくなりますが、今自分の目の前に広がっている世界は全て奇跡の連続で起きています。

歴史の中で「もしこうなっていたら。」「ああなっていたら。」と思っても、実際はそれが起こったことにより、その積み重ねで今があります。

数え切れないほどの組み合わせがある中で、実際現実に起こる出来事はたった一つ。

でも、実際にそれが起こっているということは、その奇跡は「必然」だったと言えます。

先程あなたという存在の奇跡の話をしましたが、どんな確率の奇跡であろうと、今、実際にあなたが存在しているということは「必然」 でもあるのです。

つまりあなたは生まれるべくして生まれたということです。

話が少しごちゃごちゃになってしまいますが、人生に意味がない一方で、あなたには生きなければならない義務があります。

意味以前に義務があると、私は思います。命を授かった以上、精一杯に生きなければならない義務が。

意味のない、しかし義務のある、たった一度の、長くても100年というこの人生。さて、どうやって生きていくのか。

それは、自らで意味づけをすることです。

この世界においては、先人たちが長い歴史の中で意味づけをしてきました。

しかし、自分の人生は自分で意味づけしなければなりません。

「意味づけ」という言葉では、少し難しいかもしれませんが、分かり易い言葉で言えば「夢」を持つということです。

さて、ここからが面白いところ。

現実問題、自分の夢を叶えて生きている人は一握りで、みんなと同じように、安定した生き方を選ぶのが一番だ。

そう思う人はとても多いと思います。

でも、本当に一度きりの人生。それでいいのでしょうか?
みんなと同じ道を進むことがいけないと言っているわけではありません。

何も行動もする前に諦めて、妥協した選択をするのはもったいないと言いたいのです。

こちらの記事にも書きましたが、本当の幸せは「人」だと私思っています。

本当の幸せ



そして、死ぬときには「幸せだった。」そう言って最期を迎えることができたら、いい人生だったなと思えます。

少し逸れてしまいましたが、最終的な幸せのために、自分は一体何をしたいのか。自分の本当の気持ちに正直になって、それに向かって生きていくことが、 意味のある生き方ではないでしょうか。

その生き方を最も簡単にする方法は、都合のいい言い訳を作ることです。

自分の人生に意味づけをすること、つまり「夢」を持つことは誰でもできます。それの大小は関係ありません。

そして、世界の意味づけはなかったものにしてしまえばいいのです。

世界にももともと意味はないのに、人間が勝手に作り上げた、ルールでも道徳でもない普通常識が存在します。

そもそもその普通や常識は、誰が決めたのか。生きてきた中で作られていくその感覚は人それぞれ異なります。

しかし人は弱いもので、ルールよりも、その普通や常識に負けてしまいます。こんなにもったいないことがあっていいのでしょうか。

奇跡的に授かったこの命で、一度きりしかない人生で、なぜ自分のやりたいことを見つけたのに、、周りの目や、よくわからない普通や常識に惑わされて我慢して、妥協した人生を歩まなければならないのか。

そこで、人生には意味があり(意味づけして)、世界には意味がない(普通や常識をないものにする)と思うことで、誰にも縛られない、あなただけの人生を送ることができます。

口で言うのは簡単ですが、実践するのは難しいことは分かっています。

ただ、できないにしても、妥協した人生だけは選ばないってことだけはできると思います。

迷うということは、やりたいということ。やりたくもないことでいちいち悩まないですよね。

迷ったら行動。

これだけであなたの人生は意味のあるものになります。

「人生」に意味はないけど、「あなたの人生」には大きな意味があります。


見えないものこそに意味がある


最近では、精神論や気持ちとかよりも、目に見えるものや科学的な物が重要視されていますが、人生を生きていく中では、目に見ないものこそ重要ではないかと思います。

大きな話で言えば伝統。

伝統的な建物や祭りなど、これは目に見えるものではありますが、伝統とはそうではないと、みなさんもきっと思いでしょう。

長い歴史の中で、代々と伝わってきたからこそ、今自分の目の前に見えるそれが、素晴らしいものにうつるのではないでしょうか。

つい先日までロシアW杯が開催されていましたが、きっと皆さんも日本代表を応援していたと思いますが、応援の力もとても大きいです。

たかだか声を出しているだけ。現地にいなければ声も届きません。

しかし、それだとしても、応援にはとても大きな力があります。

応援してる側には分からないほど、想像以上に応援される側というのは心が支えられ、頑張ることができます。

またまた具体例になってしまいますが、さらには個人的に話になってしまいますが、私は親友を事故で亡くしています。

正直未だに実感は湧かないし、現実を受け止めることができていません。

ですが、それは現実で。19歳という若さでこの世を去ってしまった親友とは、共に夢に向かって頑張り、支え合い。どんな人と結婚する。子供は何人欲しい。明るい未来の話をいつもしていました。

残酷にも、その明るい未来はやってきませんでした。

彼自身、とても大きなもの、というより全てを失い、私もまたとても大きな存在を失いました。

しかし、得た物も、その分大きかった。それこそ目に見えないものでした。

私自身夢を追いかけてる真っ最中ですが、何度も苦しみ、大きな壁にぶつかり。でもその度に、なんとか踏ん張り、乗り越えることができています。

言葉にするのはとても難しいですが、目に見えないものには、とても大きな力があります。その力は無限大でもあります。

この意味のないものだらけの世の中で、一番意味を見出しているのは、もしかすると目に見えないもの、人の意思なのかもしれません。

先程話した「あなたの生きる意味」も、個人で意味づけをするのと同時に、人の愛情や気持ちが大きな割合を占めています。

精神。心。友情。愛情。

クサいだとか、科学的じゃないとか言われるかもしれませんが、それらの存在は、私たち人間、いや生物にとって、とても大切だと私は思います。

まとめ

少し長い記事になってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

この記事に対して、いろんな意見もあると思います。

「人生の意味」とは一体なんなのか。永遠のテーマだなと、記事を書きながら改めて思いました。

書いてる途中にも頭の中にいろいろ浮かんで。それはまた別の記事で書きたいと思います。

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